美しい日本……日本人として知っておきたいお話

「尊敬されたいと思うなら日本人を手本として努力しなければならない」

  • 日露戦争における捕虜の人道的な扱い(明治37・1904~明治38・1905)
  • torukokouku日露戦争(1904~1905)は、日本がロシア帝国を相手に戦って勝利した戦争ですが、この戦争を機に、それまでロシアに虐げられてきたフィンランドやポーランドで親日感情が一気に高まったと言われています。当時、極東の一小国に過ぎなかった日本が、超大国ロシア帝国を相手に互角に戦い、そして勝利したことは、ロシアに長年支配され続けていたフィンランドやポーランドのような国の人々に強い衝撃を与え、自由と独立への希望がめばえたのです。

    日露戦争の勝利は単に有色人種にとどまらず、ロシアの圧政に苦しむフィンランドやポーランドなどへも飛び火し、民族国家独立闘争を激化させました。ポーランドの作家プルスは、『クーリエ・コディゼニー』に「日本と日本人」を連載し、日本に見習えと次のように説いています。

    「日本と日本人」・・・・日本人の最も優れているのは愛国心である。日本人の愛国心は外国人への憎しみや軽蔑に根ざしたものでなく、己に属するすべてのものに対する愛情に基づいている。軍のために何人かの者がその命を犠牲にして任務を遂行する必要が生じた場合、何人かではなく何千人もの者が自らその任務に志願するだろう。・・・(中略)・・・これが、つい二年前にはヨーロッパ人に『猿』と呼ばれていたにもかかわらず、今は敵国からも尊敬を集めている国の姿である。尊敬されたいと思うなら日本人を手本として努力しなければならない。
    (平間洋一「日露戦争と国際社会」から )

    日露戦争では数万人にのぼるロシア兵が捕虜として日本軍に捕らえられました。ロシア軍の前線には多くのポーランド人やフィンランド人が徴用されて兵士として送り込まれていましたが、日本軍は捕虜の人々を松山市にあった収容所できわめて人道的にあつかい、治療を施した上で本国に送り返しました。日本人の「武士道精神」としてヨーロッパの人々に語り継がれています。捕虜たちは松山市内を自由に歩いて見学できたと言われています。惜しくも故国の土を踏むことなく収容所で死亡した98人のロシア軍捕虜(うち12人がポーランド人)は松山市の来迎寺に葬られ、軍関係者や市民の奉仕によって手厚く守られています。


    (関連サイト)

    ★ポーランド点描(親日感情の背景)